今回のご紹介は純文学小説短編集「闇のなかの石」(松山
巌著).文字ばかりで読み切るのは大変,と思われるかもしれないが,実は著者は東京の石屋の生まれである.東京芸大で建築を学び,建築家としてまたは都市論,文芸評論など多彩な分野で活躍を続けている.最近は小説の分野にも挑戦しており,本書は著者にとって初めての純文学作品であり,書評でも好評を得ている作品である.生家が石屋というだけあって,昭和20年から30年代の東京の町石屋の様子が著者の感覚を通して細かく描写してあり,当時の石屋商売の情景がリアルに伝わってくる.
万成,小松,稲田など一昔前にはどんな石屋の軒先や石置き場にも置いてあったのだが,著者の幼い頃の遊び場でもあったそんな石置き場や道具焼き場のある作業場,そこで働く父親のすがたや職人に囲まれ,著者の原体験が形成されている.お墓や石のある風景や石の表情によって著者独特な感性がもたらされ,小説という作品のベーシックな部分を支えているようである.
手作業によるお墓の加工風景や父親や職人とのやり取りなどの遠い記憶がこの短編小説のなかに織り込まれ,その時代から石屋をやってきた方にはなつかしさが込み上げてくるに違いない.
陰影を含む文体は多分,石屋という人間の死と直面しながら仕事をしなければならない幼い頃の生の記憶と,無機質で人間のもつ時間を超越したものとしてある石の存在という両極にあるものによって育まれたものであろう.
香港という見知らぬ土地で,からゆきさんのお墓があるという外人墓地を訪れ,だれが祭ったか判らないからゆきさんのお墓をまえに,子供の頃の記憶とオーバーラップさせて人間の本性に思いを巡らせた「石の皺」をはじめ,石やお墓というものを題材にしながら,あらゆる虚飾をはぎとって人間をえがいた短編8編が収められている.また,人間に関する黙考ばかりでなく,著者が感じ取っている石が人間の感性に及ぼす作用についても行間から読み取れて興味深い作品群となっている.
わたしが紹介する本には珍しく全国の書店で取り扱っているので,早速取り寄せて読んでいただきたい本である.たまにはこのような質の高い純文学作品に触れて心をピュアにするのもよいかも.
本のデータ
書籍名・著者 「闇のなかの石」
(松山 巌 著)
発行所・価格 文芸春秋 /
1,600円
体裁・発行年 B5版 257ページ
/ 1995年発行
発行所住所 東京都千代田区紀尾井町3-23
TEL 03-3265-1211
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